シマナイチャーで思う しまくとぅばで魂の復権を

 久しぶりに「シマナイチャー」という語を目にした。10日付け本紙で「記者の窓」で、富山県出身の記者が書いていた。この語んい懐かしさと同時に「言葉は生き物である」ということを実感と同時に隔世の感を抱いた。
復帰前、一足先に日本復帰した奄美の与論島と沖縄の国頭との中間点、北緯27度線で毎年4.28海上集会があり辺戸岬に多くの労働者学生が結集した。小生もこの集会に参加したが途中休憩地点の辺土名で、「シマナイチャーるやっさー」と言われたのだ。当時「シマナイチャー」とは、本土渡航した人が多少色白くなり、かつ訛りのない共通語を話すようになった県民を指す言葉だった。そこにはある種の憧れと嫉妬がない交ぜになった屈折した感情であったと思う。当時私は大学を休学し、半年ほど東京でアルバイトをしていたので、うちなー訛りがなくなっていたのである。しかし近頃では「シマナイチャー」は、県外から沖縄に仕事や居を移した人に対して使われ、50年前とは全く対象が違っている。これは若者だけでなく大人たちも同じように使う。
さて「シマナイチャー」の同記者は先のコラムで「しまくとぅばを身につけなくても沖縄で働き生活ができるのはなぜなのかと、沖縄と日本の歴史を振り返らざるを得ない」と記している。これはウチナーンチュに向けられた命題ではないか。しまくとぅばの普及活動をしている過程で、「今更しまくとぅばを習ってどうするの?」とか「生活に必要ない」などとの声がよく聞こえた。果たして生活に必要ないから、しまくとぅばを残す必要がないのか、日本国民・日本人になり日本語で間に合っているから必要ないのだろうか、うちなーぐちの歴史を振り返ればウチナーンチュの魂、尊厳につながる問題であることが分かる。琉球処分により独自の言葉を抑圧された歴史に蓋をしてはならい。
また同記者は「アイデンティティーという言葉が沖縄の政治の前面に出てきた。沖縄の自己決定権が具体的な問題として議論されるようになった」。と指摘しているが、しまくとぅばの復興もアイデンティティーの再確認であり、自己決定権の回復の大きなテーマである。
2013年の県の意識調査によると、日常的にしまくとぅばを使っている人は県民の35%にまで減少しているという。9月には「危機言語・方言サミットin沖縄」も予定されている。那覇市長時代にうちなーぐち施策に力を入れた翁長雄志県知事に期待し、基地問題の解決と言語復興はオール沖縄でと願う。使やびらしまくとぅば しまんちゅぬ宝。

しまくとぅば連絡協議会
副会長 名嘉山秀信(69)

しまないちゃー

県議会文化振興議員連盟と意見交換 しまくとぅばの保存継承で特別委員会案も

 しまくとぅば連絡協議会は9月4日、開会中の県議会内で文化振興議員連盟(会長 玉 満氏)と「しまくとぅばの保存継承」で 初めての意見交換を行いました。委員会審議中の多忙の中、文化議連36名中16名が参加、連絡協議会からは照屋義実会長以下役員が参加し、活発な意見交換を行いました。
連絡協側からは廃藩置県以後130年余、国民統合、皇民化教育の過程で危機に瀕している「しまくとぅば・うちなーぐち」の保存継承は、県民的な課題で教育の中で取り戻す必要があると、議連の協力を求めました。
これに対し玉城議連会長は、県議会の委員会の一つとして、「しまくとぅば特別委員会」の設置も考えられるとアイディアを提案しました。
平成18年、県議会は「しまくとぅば条例」を制定し、これに基づき県は9月18日を「しまくとぅばの日」としました。今年は初めて県民意識調査を実施し、県民大会を開催、今後10年間で「しまくとぅばの話者」を30%増やしたいとして県民運動を展開することにしています。
那覇市文化協会、沖縄語普及協議会、沖縄県うちなぁぐち会は連盟で、去年各市町村議会に「しまくとぅばの普及促進宣言」を決議するよう陳情、過年度決議した議会を含めて22の市町村議会が決議しました。その後3団体が増えて現在25市町村議会が決議しています。残る11団体が決議し、オール沖縄で言語復興に取り組めるようになって欲しいものです。

照屋会長(正面右端)
照屋会長(正面右端)
県議会文化振興議員連盟と意見交換(議連側GS)
議連側GS
県議会文化振興議員連盟と意見交換(文化議連 玉城 満会長)
文化議連 玉城 満会長
県議会文化振興議員連盟と意見交換(文化議連 玉城 満会長)
文化議連 玉城 満会長
県議会文化振興議員連盟と意見交換(会長取材OTV)
会長取材OTV