魂の飢餓感 沖縄の正論を主張し続けよう

DSC02436記事記事(飢餓感)翁長雄志知事の語録が面白い。面白いというのは第三者的で、ふさわしくない。全面的に共感しているのだ。いわく「うちなーんちゅ、うしぇーてぇー、ないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」(5月17日県民大会)、「県民の気持ちには魂の飢餓感がある」(8月11日)。「日本政府に守ってもらっているという実感が全くないんです」(9月22日国連記者クラブ)。
戦後70年、基地問題に揺れている沖縄で今、問われているのはまさに翁長知事の語録に集約されている感がする。つまりウチナーアイデンティティーのことだ。アイデンティティーとは言語、風俗習慣、文化を共有し、己がその集団に所属しているという一体感、精神性のこと。日本語では自己同一性と訳される。
確かに私たちは日本語を使い、日本語で物事を考える。しかし、昨今の沖縄を取り巻く状況からすると、とても日本という国家にアイデンティティーを持ちにくい。では、沖縄県民のアイデンティティーは?何処?どこ?にあるのだろうか。
琉球語の中には東風(こち)、南風(はえ)、アーケージュ(とんぼ)、チブル(頭)、トゥジ(妻)など奈良時代の古語が随分、残っており、言語学的には日本語の姉妹語と言われている。しかし千数百年の時の流れの中で全く別言語になり、琉歌、組踊、踊り、古典芸能、民謡など沖縄独特の文化が花開いた。政治的にも琉球国という独立国だった。
1609年に薩摩の琉球侵攻があり、つい136年前の1879年に琉球処分という形で日本に併合され日本人になった。その後、同化政策、皇民化教育で、ウチナーグチは悪い言葉、方言扱いされ標準語励行という名目で葬り去られようとした。それは復帰前の1960年代まで続いた。復帰後も相変わらず基地問題に苦しみ続けている。
あなたは?何人?なにじん?ですかと問われて、「はて」と躊躇(ちゅうちょ)する人が多いのではないか。いみじくも西銘知事が沖縄の心を「ヤマトンチューになろうとしてもなりきれない」と述懐していたように、「私は誰」と己のアイデンティティーに揺れているのが、沖縄県民ではないのか。
基地問題に、眠っていた県民のアイデンティティーが揺さぶられている。
冒頭の「魂の飢餓感」は、基地問題で他府県と同等に扱われない「沖縄差別」に対して、翁長知事は日本政府に情緒的にアピールしている。帰属意識に芽生えた県民が今求めているのは、「自己決定権」である。日本政府にすがりつくのではなく、毅然(きぜん)とした沖縄の正論を主張し続けていくことであろう。(琉球新報 9月27日 論壇掲載)

しまくとぅば連絡協議会副会長、

那覇市文化協会うちなーぐち部会事務局長 名嘉山秀信