世界母語デー2月21日 しまくとぅばの復権を

2月21日は1999年にユネスコが世界母語デーと定めた日です。その制定背景を知ると身につまされる思いです。沖縄の言語復興について改めて考えさせられます。沖縄タイムスに投稿し今月20日に掲載された論壇をアップします。

2009年、ユネスコが琉球諸語を絶滅の危機にある言語と指定してから10年余。本欄でも度々危機をアピールし普及活動に取り組んでいるが、後10年を待たずして消滅するのではないかと危惧している。現在話者は県民の25%を切っているのだ。
ところで、国債母語デーをご存じだろうか。99年にユネスコが定めたものである。それを定めた背景を知るとチムグリサを覚えるとともに、言語を弾圧しようとした国家権力にワジワジーする思いだ。
バングラデシュの言語はベンガル語である。だが東パキスタンという国名の1952年、西パキスタン出身の首相がウルドウー語に統一しようとしたところ、反発し抗議行動を展開した住民と当局が衝突し5名が犠牲となった。結果的にベンガル語は国語となった。民族の言語を守ることが命をかけるほどのことだったいうことにウチナーンチュとして、ある種の感慨をおぼえた。というのは16年の世界のウチナーンチュ大会の際、「ハワイに学ぶ言語復興」というシンポジウムを開催したが、終了後沖縄にルーツを持つパネリストが、沖縄の言語復興は「死ぬ思いでとりくんでいない」と述べていたと言うことを思い出しウチアタイしたのである。ユネスコはバングラディシュの事件のあった2月21日を国債母語デーと定めたが、言語に関する国際的なアピールとしては96年の「言語関する世界宣言」いわゆるバルセロナ宣言がある。民族は自己の言語を使う権利があるというもので、それに先立つ08年にはユネスコが「琉球民族は先住民と認定、学校教育の場で琉球語や琉球の文化を教えるよう」日本政府に勧告した。しかし日本政府は一顧だにしていない。私は中学生の時、仲原善忠の琉球の歴史を配布されたが授業はなかった。現在も琉球の歴史文化・言語はカリキュラムとして系統的には教えられない。総合学習やクラブ活動の位置づけだ。
1879年(明治12年)の廃藩置県から140年、日本人としての同化、皇民化政策で抑圧されてきた琉球語、風俗習慣。若い世代にとって母語は最早日本語になっている。やがて同化政策は完結するだろう。このままでいいか。ハイサイハイタイ運動を最初に唱えた翁長雄志那覇市長・県知事は天国から「まきてーならんどーウチナーンチュ。ウジュミヨ(目をさまして」と檄をとばしているだろう。                                                  2020年2月7日
那覇市文化協会うちなーぐち部会会長
しまくとぅば連絡協議会副会長
名嘉山秀信(74)  南風原町